JAZZピアニスト秋田慎治インタビュー

やはり 海より深いという例えはなんとなく優しさや、ぬくもりが感じられていい。

ピアノとの出会い

やわらかな物腰とスタイリッシュな風貌、そして穏やかな笑顔が印象的な秋田さんは、今でこそ実力派イケメンピアニストとして圧倒的な人気ですが、もともとはキーボードやシンセサイザーなどをプレイしていたそうです。ピアノとの出会いは19歳の時。

「ピアニスト」となる人は、2〜3歳の物心がついた時からクラシックピアノを始め、中学生くらいでコンクールに出て…というイメージがあります。秋田さんご自身も、当時はピアニストになろうとは思っていなかったとか。

「たまたま知り合ったプロのドラマーから『一回の人生なんだから、好きなことをやらないとダメだよ』と言われたんです。そこから、自分の好きなものってなんだろう…と考えて、その時はシンセサイザーなどの、電子鍵盤楽器のプロになろうと思ったんです」。

秋田さんは考えます。これから鍵盤楽器のプロを目指す人が、鍵盤楽器の基礎であるピアノを弾いたことがない、というのはいかがなものか、と。同じ鍵盤楽器といっても、それまで弾いてきたシンセサイザーやキーボードなどとは、音から弾き方からすべてが違い、全く別の楽器だそう。とにかく見よう見まねで、好きなように弾く。最初は思うようには弾けなくて…。

「最初はおもしろくなかったんです。ぜんぜん弾けなくて」。
しかし、練習していくうちにだんだんと、思ったように弾けるように なり、キーボードとピアノを触る時間の比率が変わっていったそう。20歳過ぎから、ホテルのスカイラウンジやジャズバーでピアノを弾いたり、学校でピアノを教えたり、ピアノは秋田さんの生活の中に、当たり前にあるべきものとなりました。

秋田慎治
秋田慎治

ジャズとは、進化していくもの

帰国後は、自身のジャズピアニストとしての活動はもちろん、ロックやポップスのアーティストへの楽曲提供やプロデュースなど、活動の幅を広げています。

「ジャズは進化する音楽だから、時代が進むにつれて多岐に渡ってきますよね。スタイルとか、演奏そのものも。ジャズっていうのは…いや、音楽っていうものがそうなんでしょうけど、一生勉強ですね。例えばピアノひとつとっても『ピアノを弾く』ということ自体もすごく奥深いし、ピアノを弾くことで表現できる音楽の中身っていうものも無限に深かったり広かったりするので、キリがないですけど、それをひとつひとつクリアしていかなければ、と思います」

心を潤す、気持ちを引き上げる音楽の力

すごく落ち込んだ時に音楽に救われた経験がある人はきっと多いはず。ある幼稚園の先生が、落ち込んでいた時に秋田さんの曲を聴き、 すごく元気が出て、アーティストを調べ、ライブに行き、そこからのご縁で、幼稚園でライブをやることになったそう。

 「子どもたちって、ピアノを弾くまではワーワー言ってるんですけど、弾き始めるとちゃんと聴いてくれるんです。アニメなどの知っている曲だったら、一緒に歌ってくれたりもしました」。

「(曲を弾きながら)『みんなが知っているのはこういう曲だけど、でも、友だちとケンカしたあとに聞くと、こんな感じになるよね?』なんて言って、アレンジを変えてみたりとか。ジャズというのは、その時その時の気持ちを表現するものなんだよ、ということが伝わっていればいいですね」

楽しそうに歌ったり、同じ曲の印象が変わるのに驚く園児たちが目に浮かびます。

ニューヨーク渡米のきっかけ

すごく忙しかったんですよ。“朝から朝まで”(!)働いてました」
専門学校で教えながら、バックバンドの演奏もこなし、夜はホテルのラウンジで演奏し、それが終わったら他の店でピアノを弾く。家に帰ったら朝の5時、ということもたびたびだったとか。そんな毎日の中、1997年1月、朝のTVから聞こえたアナウンサーの声にハッとします。

朝「あの阪神・淡路大震災から2年が経っていました。この2年の間、僕は何をやっていたんだろう。毎日毎日仕事ばかりで、練習もせずに…。」

その時、秋田さんは24歳。
「この先、何があってもジャズとは関わっていくだろう。それならば、ジャズの本場ニューヨークに行って、思いっきりジャズと触れ合いたい。」
そう決意し、その年の6月にニューヨークに渡米したそうです。

たった3年、でもかけがえのないNYの日々

渡米した最初の頃はカフェなどで演奏も行い、忙しい毎日を送っていましたが、これでは日本にいた頃と変わらないと思い、当時加入していた3つのバンド以外の活動を全部やめることに。

その3つとは、NYジャズ界屈指のベーシスト中村照夫が率いるライジング・サンバンド、卓越したドラマーとして名高いビクター・ジョーンズグループ、今注目のギタリスト、イーガル・マイケルグループ。

活動を制限したとはいえ、どれも一流バンド。演奏はもちろん、街を歩くだけで刺激のある日々は、音楽に、そして人生観にも多大な影響を与えることになったそうです。

「今考えると、たった3年なんですね。でもすごく色々なことが起こって、色々なことを覚えています。たった3年だったなんて、信じられないくらいに」
スティービー・ワンダーがジャムセッションに現れて、演奏して帰ったこともあったそうです。

始めるのに、遅すぎることなんてない

ピアノを始めたのが遅かったため、ピアノに対してのコンプレックスはいっぱいある、と語る秋田さん。

「うまくいかないこと、落ち込むこともそれはあります。でも、昨日はうまくいかなかったとしても、また今日から新しい一日が始まるって思っていれば、昨日よりは絶対良くなるはず。そういうふうに、ずっと思っているんです。僕がピアノを始めたのはピアニストとしてはずっと遅かったし、そもそもピアニストになれるとは思っていなかった。でもね、使い古された言葉ですけど、始めるのに遅すぎることはない。がんばる、という言い方は陳腐だし、難しいこともいろいろありますけど、新しい一歩を踏み出すことを怖がらないでほしい、と、聴いてくれるみなさんに伝えたいですね」。

秋田さんのピアノは、その場をやさしく包みこむような柔らかさと、ぐっと心に迫る力強さがあります。それは、ニューヨークで培った実力と、今まで影響を受けた音楽へのリスペクト、そしてファンへの思いが、強く伝わってくるからなのでしょう。

「ライブに来て『元気になった』と言われるとやっぱりすごく嬉しいですね。音楽にはそういう力があるんだ、ってこと、僕の音楽で元気になってくれる人がいるってことが、僕のパワーになります」。

秋田さんの心の海を思わせる心地よいメロディーと、音に込められたあたたかい気持ちを感じながら、都会のオアシスアレア品川で、爽やかなひとときを過ごしてはいかがでしょうか。

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